大判例

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大阪高等裁判所 昭和35年(う)1826号 判決

本籍 宮崎県高崎町大字江平七一九番地

住居 同所 藤崎義信

昭和一四年一二月一七日生

右の者に対する強盗殺人、私文書偽造、同行使、詐欺、窃盗被告事件について、昭和三五年九月二九日大阪地方裁判所が言渡した判決に対し、被告人から控訴の申立があつたので、当裁判所は次のとおり判決する。

検察官長木肇、斎藤欣平出席

主文

原判決を破棄する。

被告人を無期懲役に処する。

押収に係る印鑑一個(昭和三五年押五五四号の四)及び郵便貯金払いもどし金受領証(同号の五)はこれを没収する。

押収に係る郵便貯金通帳一冊(昭和三五年押五五四号の三)はこれを被害者門田弘道に還付する。

理由

本件控訴趣意は弁護人奥田福敏提出の控訴趣意書記載のとおりであるから、これを引用する。

控訴趣意第一点事実誤認の論旨について。

所論は、先ず原判決には本件犯罪の発生原因を認定するに当つて重大な事実の誤認があると主張し、次いで原判決が被告人の素質は善良であるのに、犯行から遡つて素質まで悪質であるかのように推断して死刑を宣告したのは、重大な事実の誤認であると主張するのである。

しかし、刑事訴訟法第三八二条により控訴の理由として主張し得べき事実の誤認は、罪となるべき事実に属するものと解すべきであるが、所論の犯罪原因や被告人の素質は罪となるべき事実に属しないことが明かである。従つて、所論のような事情を量刑不当の資料として主張するのは格別、これを以て事実誤認を主張する論旨はすべて理由がない。

控訴趣意第二点、量刑不当の論旨について。

所論は、被告人に対し強盗殺人罪について死刑を宣告した原判決の量刑は著しく苛酷であるから破棄すべきであるというのである。

一、案ずるに、被告人は洋服等の月賦払やその質受の資金に窮した余、原判示の窃盗、詐欺、強盗殺人及び私文書偽造行使、詐欺等の一連の犯罪を単独で計画し、且つ執拗に実行に移し、憲法の保障する個人の生命財産を侵奪したのである。就中強盗殺人の犯行は白昼都島公団住宅を襲い、産後日の浅い若妻の鳩尾に唐手で一撃を加え、肝臓破裂の重傷を与え、同女が室内で必至の抵抗を試み、入口や奥に逃げるのを追い、同女の口を塞いで押えつけ、両手で同女の首を締めつけ、更にネクタイを首に巻きつけて絞殺した上、金品を強取した極めて兇悪無惨な犯行である。それは被害者の夫から最愛の妻を奪い、生後間もない嬰児に慈母を失はせ、一瞬の間に家庭の幸福と永遠への希望を破壊したばかりではなく公団住宅居住者に深刻な脅威と不安を与えたのである。被害者の夫は勿論近親者一同が、今なお尽きない悲しみと憤りを訴えて、この極悪非道な犯人を死刑に処し、社会悪を一掃して平和な秩序を確立することを望んで止まないのである。その被害感情乃至社会感情は十分に理解することができる。

二、被告人は終戦後両親と共に満州から引揚げ昭和三〇年三月郷里宮崎県北諸県郡高崎町の高崎中学を卒業した後、家庭が豊かでなく、通学することができなかつたので、宮崎市の公共職業補導所に入所し、翌昭和三一年二月三級整備士資格を得て、自動車修理工場に住込み、同年一一月自動三輪車の運転免許を受け、昭和三二年夏頃志を立て、伯父を頼つて来阪し、日本通運株式会社片町支店に臨時雇として就職し、満一九才に達した昭和三三年一二月食堂の女給を恋愛して同棲し、日給四〇〇円足らずの薄給を顧みずに身を装い、上司の名をかりて月賦払で自己の洋服や靴等を買入れた外、父のため皮ジヤンバーを買入れ、映画を楽しみ、パチンコに耽つたが、間もなく肺門淋巴腺炎の診断を受けて休養するや、たちまち生計に窮し、月賦払の済んでいない洋服や皮ジヤンバーを質入れしなければならない状態に追込まれ、その月賦払や質受けの資金三万円の金策に窮した結果、前記犯罪を計画実行したのであるがその犯行当時は漸く二〇才を過ぎたばかりの未熟な青年であつた。犯罪は、就中青少年の犯罪は素質と環境によつて生起する社会悪であるとの観方を以てすれば、南九州の田舎に育つた素朴な少年が都会へ出てその栄光に浴し、一時に五欲を開放し、早期に事実上結婚生活に入り、消費生活を調整することの困難な複雑な環境に身を置き、補導援護されなかつたために処世を誤つたことが本件犯罪の主要な原因であるということができる。被告人の伯父は被告人が同棲生活を始めたことを知り、被告人の父に注意を促したが両親は生活に余裕がなかつたため、はるばる被告人を訪ね補導援護することができなかつたのである。

三、すべて犯罪は犯人の反社会的性格の表われであるということができるが被告人は本件犯行当時は若年未熟であつたから三万円の支払に窮したという支配観念に基いて企てた犯行について、その道徳性や社会性について十分反省し批判し得る程度に人格が形成されていなかつたと考えられる。そうだとすると、本件犯罪は必ずしも被告人の兇悪な性格や、根強い悪性の現れであると速断することはできない。

現に高崎中学校長亀沢 三は被告人は同中学在学中学徒として極めて熱心に学業に励み無欠席であり同校保管に係る指導要録によると、社会性安定、親切と礼義、尊敬の態度、協調の習慣など著しく良好な行動特徴を持つ者であつたとしたために歎願書を提出しているが、中学一、二学年時代の担任教官も、被告人は無邪気にスポーツを楽しみ明朗で親切であつたから級友に親しまれたと証言している。又被告人の両親や姉弟の証言によると、被告人は弟には野球用具を送つてやり学資を貢いでやるから是非高校へ進学せよと勧め、姉の無心を容れて一万円の送金を約し、父のためには代金八千円の革ジヤンバーを買入れ、その代金や、質受けの資金に窮したことが本件犯罪の主たる動機となつている。

以上によつて観ると被告人には兇悪な素質や改善不可能な根強い反社会的性格はその片鱗さえも窺うことができない。被告人は犯行に用いた空手術を中学時代に練習したと云つているがそれが兇悪な素質の萠芽であると推断することはできない。

四、本件強盗殺人の犯行が全国住宅に深刻な脅威と不安を与えたと言われているが、被告人は犯行当日先ず原判示公団住宅都島団地一三号館一階一〇九号北脇法子の居室を襲い、かねて日通の配達係として荷物を配達して面識のある同女に荷物の誤配について調査に来たと話しかけ、隙を見て空手で一撃を加え、金品を強奪するつもりであつたが、敏感な同女が覗窓越しに応答して被告人の言動に不審を抱き、入口の扉を開けなかつたため、危く難を免がれたが、それにより被告人の計画は失敗に終つた。そこで被告人は、更に扉の開いている他の居室を物色したところ、同団地八号館五階五〇二号門田弘道の妻タヅヱの居室が不用心にも入口の扉を開放しているのを発見したので、直に同所から侵入して本件兇行に及んだのである。公団住宅はその構造上、入口から不法に侵入されると、家人は隣人の救を求め、或は室外に脱出することが困難であるから、平素入口の扉を閉鎖し、濫りに開放しておかない用心が肝要である。外来の訪問者に対し覗窓越しに応答し、必要な場合に扉を開けても不法侵入を防止し得る設備を施すことは困難ではない。又普通住宅街では所謂向う三軒両隣、互助のため善隣の誼を厚うし、他面それによつて防犯に備えている。近代的集団生活を営んでも「秋深き隣は何をする人ぞ。」とうそぶき、ブライバシーを楽しみ得るところに、団地生活の好さがあるとしても、公団住宅と雖も天国ではない。犯罪の被害を免がれようと欲するならば、防犯の設備と用心が必要である。本件は公団住宅居住者を不幸の淵に陥れたよにも歎げかわしい事例と、防犯の設備と用心さえあれば、同じ類型の犯罪をたやすく防止し得るいとも心づよい事例とを、併せて物語つている。それ故、最早や被告人の死刑の執行を待たなくても、公団住宅居住者は枕を高うして休んじることができるであろう。

五、刑罰は歴史の進展に伴つて変遷し合理化されて今日に至つている。「目には目を。歯には歯を。」という報復観念は人類固有の本能的欲望であつて、これを満足させることによつて社会を保全し得たのであるから、それを尊重することは法的生活の安定を計るために必要であろう。

しかし、古代においても哲学者は「考え深い人は誰でも罪が犯されたから罰するのではない。罪が犯されないために罰するのである」と説いている。近代文化国における刑罰の目的は、報復観念を満足させることではなく、刑罰を加えて犯人の自覚と反省を促し、犯人の性格を教化改善すると共に、環境を調整し、以て犯罪を防止し、社会の秩序を維持することがその目的であるとされている。死刑は沿革的には最も古い刑罰であり、それ自体残酷であるに拘らず威嚇的効果の少いことが認識されて以来、その適用範囲が次第に縮少されたのである。それでも人が人を殺すことは、人道的見地から許しがたい罪悪である。刑法は殺人を防ぎ、これを罰することを目的としているのに、他面死刑を認めているのは、何と云つても矛盾である。死刑は非人道的行為であり、野蛮への復帰であるから社会秩序維持について客観的条件が具備するなら、廃止されることが望ましい。この結論は何人にも明白である。それ故約二百年前から死刑廃止論が主張せられ、既に世界の半数に近い国々において死刑が廃止せられ、他の国においてもその運動が熱心に続けられている。

扨、わが国においては、仏教の興隆した平安朝時代(西暦八一八年以降)に、三四七年間、少くとも朝臣に対し死刑が廃止せられたという文化史上輝かしい記録が残つているが、現行刑法は死刑を存置し、強盗殺人罪については死刑、又は無期懲役に処することを定めている。裁判所は死刑に値する犯情を認めるならば、毅然としてそれを宣告しなければならないことは勿論であるが、刑罰の目的と、死刑の本質や、その世界的風潮に鑑み、死刑を選択することに慎重でなければならない。

無期懲役は生命を奪われる死刑との間に霄壌の差はあるがもとより無罪放免ではない。刑罰を加えて苦痛を与え、それによつて報復観念を満足させる点においては、無期懲役による不定長期に及ぶ自由の剥奪は、瞬間的な死刑の執行に比し、より効果的であるとさえ言われている。復讐感情を満足させる点から視ても、野性に帰つて心を鬼にしない限り無期懲役を過少評価してはならない。

六、被害者の夫の実家、門田家では応接室に仏画を掲げ、ひたすら死者の冥福を念願しているが、他面一門を挙げて、速に被告人の死刑が執行されなければ死者の霊が浮ばれないと訴えているようである。

惟うに安心決定は宗教によつて到達し得る法悦の境地であろう。周知のとおり、仏教は殺生を戒め、文化国が刑法を以て是認している正当防衛のためにする殺人をも否認している。高遠な仏教の教理は凡人のたやすく到達しがたいところである。本件被害者が被告人の暴力に対し、必死の抵抗を試みたが力尽き、貴重な生命を失つたことに対する近親者の煩悩は、なかなか解脱しがたいところであろうが、被害者は仏説に従つて功徳を修めたことに外ならない。必ずや仏果を得て恩讐の彼岸で安らかな往生を遂げるであろう。二世を契りし夫は、破戒無漸の責を法に委ね、自からも仏説に従つて、一筋に愛妻慈母の菩提を欣求すべきではなかろうか。

被告人の母は郷重で保険勧誘をして駈け廻つて稼いだ貧者の一灯を弁護人を通じて被害者の霊前へ供へようとしたが拒否されたので、檀那寺へ喜捨したところ、寺は一旦受納しながら檀家の意思に添わないとして供養を営まずに突き返した。門田家一門が、貧者の一灯を受けるも返すも、それは全く自由である。失われた生命は、たとえ万灯を献げても返すすべはないが、平安の昔、三百数十年間死刑廃止に貢献したであろうと思われる日本仏教が末世に至つて経を説かず、無力を暴露して省みないのは甚だ遺憾である。

七、これを要するに、被告人は本件強盗殺人犯罪により財産を侵害したのに止らず、人命を軽視し、他人の愛妻慈母を奪い、近親者を尽きない悲歎の淵に陥れたのであるが、その犯行当時満二〇才を過ぎたばかりの未熟な青年であつた。被告人が薄給を顧ずに早期に同棲生活を始め、消費生活を調整することの困難な複雑な環境に身を置き、補導援護されなかつたために処世を誤つたことが、本件犯罪の主要な原因である。本件犯罪は被告人の兇悪な素質や改善不可能な根強い反社会性の現れであるとは考えられない。被告人は兇悪な罪を犯したが、他面、父のためには親孝行であり、弟姉のためには頼もしい兄弟であつた。犯罪の態様は惨酷であるが被告人は兇器を用意しなかつたから、鮮血淋漓何人も見るにしのびない凄惨な様相を見なかつた。兇行は嬰児の面前で行われたがそれは嬰児の意識の外であつた。本件犯罪により全国の公団住宅居住者に深刻な脅威と不安を与えたとしても、防犯の設備と用心さえあれば、同じ類型の犯罪を容易に防止し得ることが証明されているから被告人が死刑を執行されると否とを問わずその脅威と不安は解消するであろう。又被告人が死刑を執行されなければ、被害者の亡霊が浮ばれないという近親者の煩悩も、判決の如何に拘らず宗教によつて解脱されるであろう。その他、本件犯行前に被告人に非行歴のなかつたこと、本件犯行後に被告人は心から悔悟し被害者の冥福を祈り、キリスト教に帰依し更生に努めていることが窺われること等記録に現れた諸般の事情を綜合すると本件強盗殺人罪について死刑を選択した原判決の量刑は、苛酷に過ぎると考えられるから、弁護人の論旨は理由がある。

以上のとおりであるから刑事訴訟法第三九七条第一項第三八一条に則り原判決を破棄し、同法第四〇〇条但書を適用して直に判決をする。

原判決が認定した犯罪事実に法令を適用すると、原判示中第一の窃盗の点は刑法第二三五条に、第二の強盗殺人の点は同法第二四〇条後段に、第三の私文書偽造、同行使、及び詐欺の点は、それぞれ同法第一五九条第一項、第一六一条第一項第一五九条第一項及び第二四六条第一項に該当するところ、第三の各犯行の間には順次手段結果の関係があるから同法第五四条第一項後段第一〇条を適用し、最も重い詐欺罪の刑に従い、以上は同法第四五条前段所定の併合罪であるが、強盗殺人罪については所定刑中無期懲役刑を選択し、同法第四六条第二項に則り他の刑は科さない。主文第三項掲記の印鑑一個は原判示第三の犯罪供用物件であつて犯人以外の者に属しないから、偽造郵便貯金払戻金受領証一枚は同犯罪の組成物件であるからそれぞれ刑法第一九条により没収し、主文第四項掲記の郵便貯金通帳一冊は原判示第二の犯罪によつて得た贓物であつて、被害者に還付する理由が明白であるから、刑事訴訟法第三四七条により被害者門田弘道に還付し、訴訟費用は同法第一八一条第一項但書により被告人に負担させない。

よつて主文のとおり判決をする。

(裁判長裁判官 小田春雄 裁判官 石原武夫 裁判官 原田修)

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